院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


紫陽花

毎年梅雨時になると、紫陽花の鉢植えを二つ三つ買う。ひと雨毎に色を変え、目を楽しませてくれる。古来より移り気なもの、変わりゆくものの例えとして引用されることが多い。悲恋に流す涙が雨となって、紫陽花の花を濡らす。そんなウェットな感傷は日本人好みであろうが、私の趣味ではない。諸行無常の理は悲観や諦観ではなく、むしろ達観であるべきだと、濡れ縁で一人咳をする。
 私の住む家は町はずれの高台にあるのだが、すぐ近くに蛍の出没するスポットがある。残念ながら紫陽花の時期より、半月から一月遅れる。願わくは紫陽花の葉に宿る蛍を愛でたいといつも思う。
「あぢさゐの下葉にすだく蛍をば、四ひらの数の添ふかとぞ見る。(藤原定家)」(雨上がり、紫陽花の花が夕闇に隠れる頃、さらに暗い下葉の陰にどこからともなく蛍が群飛んできて四つ一組で咲く紫陽花の花のように見える)


目次へ戻る / 前のエッセイ / 次のエッセイ